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小林製薬の歯間ブラシ

スマホを購入してからハマッていた。Windows環境とは大違いで戸惑うばかりであった。何よりも困ったのはクリップボードの問題だったしコピペの問題だった。クリップボードの問題はPasterで解決してきて今でも便利に使っている。著者は突然行方不明になったがandroid環境で同様のアプリが存在せずありとあらゆる場面でキーボード画面からの入力を強制される事には閉口した。コピペの問題も戸惑うばかりで折角の入力が台無しになった事も多々あった。親指シフトキーボードが使えないのが一番の難点で仕方なくATOKのみを購入したが入力が多少改善したに過ぎない。困難はまだある。

それでもスマホは例えばテレビを観ている際に容易に調べ物が出来たりメイルをチェックしたり結構便利だ。外出してもDOCOMOに自動的に繋がり室内でのWi-Fi接続と同じ環境を1,280円で提供してくれている。とりわけスマホはで日本共産党国会議員の質疑や記者会見を聴いたりするのに便利だ。棲み分けが必要だろう。

5月21日(日)の十二兼行きとそれに続く23日(火)のウォーキング行事参加で結構疲れてしまった。眠い。スマホでもっと不便なのは検索が出来ない事だ。調べ物がある場合には当該文字を囲みgoogle検索し記述を正確に出来るがスマホではそれが出来ない。

さいきん私は紅茶にレモンを加えるようになった。紅茶もレモンももちろん無農薬だから魔法瓶入れたレモンは残らず食べる。きっかけは昨年に購入した杵柄さんちのレモンで二つ残っていたレモンは酸が強かった原因で鮮度を保持していたので試しに包丁で小振りの賽の目にし魔法瓶に入れたらとっても美味しい事に驚いた事にある。それでいつも小松菜を購入している「ふるさと21」から不揃いの安いレモンを購入し冷蔵庫で保存しつつまいあさ魔法瓶に入れて飲むようになった。美味しい。レモンティーと言えば紅茶カップに添えられた薄切りのレモンが一般的だが私のレモンの使い方は違う。自分で納得のゆく味にするため惜しみなく使うしそのけっか魔法瓶でフヤフヤになったレモンは歯に挟まらない程度の柔らかさになる。

人類が農耕文化段階に移行するにつれ虫歯が付いて回るようになったとNHKの番組が述べていた。信憑性はともかく私の歯は左の上下二本の歯から神経を取り除いてその上に人工の歯を接着しているだけでその他の歯はたしょう虫歯対策は取られているものの64歳の今も健在である。せんじつ入院し同室になった65歳の男性は入れ歯を使っていたし89歳の男性も入れ歯を使っていた。3北病棟脳神経内科では口腔ケアの必要性を認めていなかった、病院だと言うのに。

口腔ケアの必要性がなぜ喧伝されないかと言えばそれは日本の医療制度の根本に原因を求める事が出来る。歯医者は患者が虫歯になってこそ儲かるからである。歯科だけでなく全ての診療科で予防医療に転換すれば国民を救済するだけでなく保険財政およびそれを支えている国庫負担を削減できる。

行きつけの歯医者にも歯間ブラシは販売されておらず紹介さえされず歯科医は相変わらずデンタルフロスを使っている有り様である。デンタルフロスなどあんなもの個人が日常的に使えるものではない。このフロスを日常的に使える商品にしたのが小林製薬であるが私が散々このフロスの瑕疵を指摘したけっか小林製薬は歯間ブラシを開発して私の追及に応えた。歯間ブラシ制作にはその後他の会社も参入するようになった。入院中にこの歯間ブラシが無かった私は「グジュグジュペ」操作によって歯間に挟まっているかなりの食べ滓を吐き出す事を覚え退院後はこの作業を前提として歯間ブラシを使い歯間ブラシの使用頻度を少なくすることに成功した。こういうのを「不幸中の幸い」とでも言えばいいのだろうか。食物を摂取したら歯磨きと歯間ブラシを使い徹底的に歯垢を除去し虫歯の原因を排除する。そうすれば死ぬ間際まで28本の歯は私の食を支えてくれるだろう。私は厚労省や歯科医師会の標語は「虚偽」だと考えている。口腔ケアを心がければ永久歯である28本の歯は不滅である。その上で半年に一度の定期検診を忘れてはならない。先日も歯磨き方法に不備があり上の歯に虫歯が三カ所存在していた事が判明した。虫歯菌に食べられた歯は生き返らない。止まった心臓が生き返らないのと同じであり科学的に両者は非再生臓器であると定義できる。

2017年5月24日(水)午後5時37分

17年5月24日(水)午後5時54分28秒
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[ 2017/05/24 17:55 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)

ETV特集「暮らしと憲法・外国人の権利は」

NHKは昨日2017年5月13日(土)午後11時からEテレでETV特集第二弾「暮らしと憲法・外国人の権利は」を放映した。1時間8分の彼らにとっては「力作」だった。日本国憲法第25条に基づく生活保護法が外国人に適用されない事実が憲法制定過程に遡って紹介され救済策として古い局長通知が紹介された。NHKはまた生活保護法制定の主軸にいた小山進次郎編著「生活保護法の解釈と運用」も紹介しそこにも救済策が記述されており小山を始めとする当時の保護課職員の苦労も推測として紹介した。

日本国憲法とそれに基づく生活保護法第1条を機械的に運用すれば外国人は適用外となる。私はNHKの好意的な推論とは別に小山達が外国人を除外できなかった原因を生活保護法制定の趣旨そのものに見いだした。旧法の制定趣旨が社会不安の除去にあった事実を小山が編著で語っているからである。番組に登場した愛知県豊橋市の社会福祉主事・柴田圭吾は、外国人を適用除外とすれば死に繋がるから54年局長通知が役立つと述べているが、生活保護制度は大宝律令時代から連綿と続けられた救貧施策の一形態でありそれは常に支配階級による被支配階級に対する「飴」と位置づけられる。日本人や外国人を保護の適用除外とすれば人間が死ぬから保護するんだという柴田氏の理解はこの社会が階級社会である事実に目を塞いだ幻想にすぎずその意味では主幹に昇格するまで20年間に渡り生活保護行政に関与してきた柴田氏は「お人好し」に過ぎず、それは彼が小山編著をバイブルだと礼賛する愚かさを表明している事実で証明される。

小山は実は戦前においては滋賀山口県警特高課長を歴任しそれが原因で戦後初期に公職追放されたがすぐにGHQに救出され厚生省に舞い戻っている。A級戦犯岸信介が巣鴨から解放されたり元外交官でリトアニア駐在時にユダヤ人に命のビザを発給してドラマ化された杉原千畝(ちうね)が戦後初期に公職追放された後でGHQ関連の仕事に従事できたのと同じ現象である。Wikipediaは杉原が「47才で依願免官となった」という千畝日記の発言を紹介しているが、依願退職ではなく依願免官であった事実についてはNHKの別の番組は、杉原が外交官として活躍していただけでなくスパイとして日本の侵略戦争に大きな役割を果たしていた結果の公職追放であるという推測を述べていた。小山も杉原も宮本顕治氏を網走刑務所から解放した「政治的、公民的及宗教的自由制限の除去に関する覚書」によって一端は公職追放されたのである。

小山の場合は上司であった葛西嘉資が小山の追悼文集「小山進次郎さん」に掲載された系譜で「休職」という政治的配慮用語で事実を隠蔽した。それは葛西自身が小山と共に内務省出身だったからである。NHKは小山を賛美しその戦犯性を隠蔽した。

さらに生活保護制度に関連して言及すれば生活保護制度が日本人を殺すその源流を小山の制度設計に求める事は避けている。小山は東京帝国大学出身の賢明さを持って保護費の全額国庫負担を念頭に置きながらも意図的に地方公共団体に四分の一負担を強いて保護の抑制を図ったのであり、この日本共産党でさえ明らかにしていない「殺人制度」こそが生活保護制度の本質となったのである。

法案審議時日本共産党は厚生委員会で苅田氏が、第一、生活保護の基準が低く、本法案は欺瞞的である、第二、民生委員の活動を制限し、保護が官僚化する等の理由をもつて、修正案を除く本法案に全面的に反対する旨の意見を述べたのであるが、当時の日本共産党のこれが限界であった。そのご朝日訴訟が日本共産党主導で闘われ担当判事達や当時の社会情勢もあり第一審での勝訴判決を受け保護基準は右肩上がりとなったがそれ以降は安倍が引き下げるまでは同じ水準を維持した。

NHKはこんかい日本国憲法施行70周年を記念し特集第二弾を報道したがそれで済む問題ではない。生活保護制度に関する日本人の研究はこの制度そのものの深い理解を欠いたまま行われており諸外国との比較研究は皆無と言っていい。その上にせんじつ英国人老監督が公表した英国の生活保護制度「Income Support」に対する誤った描写が日本人を混乱させている。4. How to claim or change a claimでは、The quickest way to apply for Income Support is by phoneだとして、Job centre Plus 0800-055-6688が紹介されている。映画では主人公がこのJob centre Plusまで出かけ申請書を渡すよう要求するが断られ申請はネット経由のみだと言われる場面が登場するが日本と同様に開始変更申請は電話で出来るし申請時に伝える事実も少ないのである。12年間保護制度の下で生きてきた私だけが日英比較を行えるのである。

もちろん日本の場合にも保護の実施機関による妨害はある。口頭による保護の開始変更申請が可能な事実を厚労省社会・援護局保護課は意図的に隠蔽しているし保護の実施機関も同様である。NHKは生活保護制度の全貌を明らかにし全ての日本国在住者に保護の開始申請を促す社会的責務がある。それを怠るかぎり彼らは自らの営為を誇る事はできず単なる「サラリーマン仕事」として見下されるだけである。法制定当初からその殺人的本質を見抜けず馬鹿げた記事しか書けず愚かな追及しか出来ない日本共産党にもそれは妥当する。

2017年5月14日(日)午後7時6分

17年5月14日(日)午後7時32分43秒
[ 2017/05/14 19:33 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

安酒場で食べたウニは美味しかった

いま、穂高駅。小林はネクタイ絞めて諦めムード。診療所の雰囲気も優しくなった。築地市場食堂でウニを食べた。初めて美味しいと感じた。490円だった。昨夜の築地市場食堂の目玉商品だった。ウニを刺身として美味しく味わったのは初めてだった。お寿司のネタとしてではなく刺身として味わったのは初めてだった。追加注文しなかったのはフォークを忘れたからだった。私の右手はまだ不自由で箸を上手に操れなかった。震える右手の箸先で口元に運ばれたウニは潮の香が濃厚で甘かった。安酒場で食べたウニは美味しかった。490円のウニは潮の香がして美味しかった。札幌に居たのに食べず松本で味わったウニは美味しかった。

昨夜から雨になり今日一日中降っている。昨日は一カ月に一度の病院と散髪通いの日でついでに松本駅前の築地市場食堂で食事をした。親指シフトキーボードにはまだ慣れなくて入力がし辛(づら)い。スマホに入っているキーボードにも馴染めず入力難に陥っている。親指シフトキーボードをdesktopで使ったりNOTE-PCで使ったりしUSBの出し入れが大変なので6月の年金が支給されたらアマゾンからキーボードを買おうと思っている。

今年度からNHK視点・論点に字幕が入るようになり視聴は楽になったが中身(なかみ)が乏しく面白いとは思えない。韓国情勢を伝えた大学教員は上から目線で韓国の新大統領を観ており元大学教員として腹立たしいものがあった。こういう奴に限ってハングルさえ出来ないんだ腹の立つ。土曜会出身で和歌山大学に就職した十河(そごう)という年下の人物は新日本出版社から出した共著の中で本を買う事を推奨していた。私の娘は埼玉大学に進学したが学費の援助をしなかったので苦労した。友達と昼食を共にできずアパートまでいったん帰っていた。そのアパート探しも私は彼女に任せ彼女の依頼を断った。

小学校に進学するに当たり私は娘と息子に宣言した。学校に行かなくてもいいし、勉強をする必要もない、と。大学進学は彼女の意志で私の意志ではなかった。夜間大学に進学することになった息子は元妻に恨み言を述べた。どうして勉強するように言ってくれなかったんだ、と。勉強ないし学習の主体は当の本人であり親が強制する事はできない。強制すればそれは主体的活動ではなくなる。学ぶ事の意味を親が教えなければならなくなる。手取り足取りの指導は両者に負担となる。学習の意義を伝える事は簡単であるが、それは親の主観的判断なり世界観を伝える事になる。科学的社会主義の世界観を持つ私がどうやって常識の世界で生きている息子にそれを伝える事が出来るだろうか?彼は中学生の段階で世間の不条理な常識を受け入れる態度を身につけてしまった。制服もヘルメットの着用も学校が強制した義務ではなくPTAが強制した義務であるのに白い目で観られるのを嫌がり不条理を飲み込んだ。元妻は不条理と闘わなかったが私は二人の子供たちのためにPTAでこの不条理と闘ったが多勢に無勢(たぜいにぶぜい)だった。制服は着たければ着ればいいが着たくなければ着る必要はない。個人の自由を多数決で圧殺した山口県旧徳山市戸田(へた)中学校区の女親たちには反吐が出た。同じ現象は先日3月に行われた管理人選任に関する説明会でも発生し入居者の大部分が説明会から脱出する中で建築課の筋書きどおりに管理人選任が強行され辞令も出された。PTAでも女親たちが脱出した。

日本人の民主主義感覚はまだまだ育っていない。PTAはMTAに成り下がっておりしかも学校側から参加しているのは校長と教頭だけであった。NHKが放映していた「ウワサの保護者会」でもPTA活動を強制されている実態が明らかにされた。ただ学校を変えるためにはこの組織は役立つと思っている。PTAの歴史的生成過程を研究してみる必要があるが、苛めが蔓延する学校を変えるためにはとりわけ父親のPTAへの参加と教師の参加とが必須だと考えている。木曽に残っている古い体質は山口県旧徳山市戸田(へた)中学校区にも歴然と存在しそれは徳山女子短期大学内部でも同様であった。

革命と反動を繰り返したフランス国民にとっては異様に思える日本人の現実だろう。フランス革命を扱った「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」というマルクスの著書がある。Wikipediaルイ・ボナパルトのブリュメール18日を大幅に書き換えたのは私であるが、実は、マルクスのこの著書は市橋氏の努力にもかかわらず理解できない。それよりも日本の歴史家によるフランス革命についてのWikipediaの記述のほうがよほど役に立つ。革命を経験していない日本人に革命を語る資格はなくまた民主主義を語る資格もない。

見田の研究によればヘーゲルでさえナポレオンを救世主と認識していたのである。世界精神という用語はヘーゲル小論理学にさえ登場する理解不能な用語であるが、文脈から読み取れるのは、ヘーゲルのナポレオンに対する憧れである。イエナに侵入してきたナポレオンがプロイセンを救うなどと愚かにもヘーゲルは考えていたのである。ナポレオンはフランス革命の反動期にのし上がった立身出世主義者であり歴史的に観ればフランス革命を流産させた軍人であり父親も同じ指向の持ち主であった。

見田の最初の著作・ヘーゲル哲学への道を三分の二まで熟読した結果は、見田の比類ないヘーゲルへの執着とヘーゲルに対する深い分析であった。最後に執筆した論文と正反対の結論を述べている部分があるから見田に対する評価は簡単には下せないが、見田を追いかけている人間は世界中で私だけだから、生活保護法の問題と同じように、入院前と同様に努力していきたいと思っている。生活保護法の問題は「佐野湖末枝・恵姉妹見殺し事件」という論文に結実させた。それをどう生かすかは後世の人々の問題である。

2017年5月13日(土)午後5時39分

17年5月13日(土)午後6時11分28秒
[ 2017/05/13 18:12 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

天才落語家・2代目桂枝雀の天才と狂気

今日は昼寝のあとBluetoothのペアリング作業を行った。iBUFFALOという商標のBluetoothの説明書では解決できなかったので、ネットで検索して簡単に作業が終わった。USBポートが一つ空いてスッキリした。昨夜からはメイラーであるEdMaxUの移転作業を行った。本当は、Windows10のNOTE-PCで新たにEdMaxUを構築したかったのだが、けっきょく全体を踏襲して初めて送受信が可能になった。24日に二倍化したNOTE-PCが到着するので、再び全体をコピーした上で、整理整頓しようと思っている。過去は清算しないと記憶が呼び覚まされ精神に悪い。

午後から曇り日になったが、風が強く、布団も洗濯物も乾いた。まだまだ完全に春の季節に移行してはおらず、桜や梅の花も目立たない。近くの臨川寺(りんせんじ)境内には、真っ白い花を付ける枝桜が咲く。白い花は風に煽(あお)られるから画像に固定するには困難を伴なうがいちど挑戦してみたく思っている。写真撮影には金食い虫の道具が必須で、それを生業(なりわい)とする写真家は、高額なボディとレンズを保有し、素人写真家との根本的な差異を突きつける。しかし、これまでの経験は、このhardware的要素だけでは、耳目をひく画像は得られない。反対概念であるsoftware的要素に恵まれない人間には、耳目をひく画像を得ることはできない。

上野俊樹は恩師見田石介の思い出を語り、見田が、絵筆の才能を振るっていた事実を紹介したが、天才は、とことん一人の人間に集中するものである。見田の場合その天才は早くに花開き狂気とは併存せず最期まで幸せを享受した。見田は芸術論のなかで天才を論じているが、多くの天才が狂気と共存していたと述べている。天才落語家・2代目桂枝雀(しじゃく)の天才と狂気の共存は、残念ながら、狂気の勝利で彼を自死に追いやった。59年の人生だった。

私は彼の死を考えるにつけ日本の精神科医療と医療一般が持つ後進性に憤りを覚えるものである。重度の鬱病患者をたらい回しにして最後に彼が受診した医者が、薬は要らない、休息が必要だ、症状が出たら、また来てください、とは、要するに、自らの非力を証明しているに過ぎないし、医療が、もし、訪問医療に徹していたならば、彼の変化を日々刻々と記録し、適切な薬物処方にも至っていただろうからである。

大橋巨泉さんの死因について、在宅医療を特集したNHKは、担当した在宅医の一つの誤った言葉掛けを紹介し、本人が記した著書で裏付けた。それは、在宅医が、大橋さんに、どこで死にたいですか、と、問うた、言葉掛けである。闘病生活は10年に渡り、大橋さんは、在宅医療に期待していた。大橋さんも自分の人生が永くはないと覚悟はしていたものの、在宅医によるこの不用意な言葉掛けは、大橋さんを打ちのめした。その後は食事も喉に通らなくなり急激にやせ細り3カ月で息を引き取った。NHKは、妻・浅野寿々子さんも登場させ、大橋さん死亡時のコメントとは異なる事実を暴き出した。在宅医はNHKにコメントを寄せ不用意な言葉掛けの事実を認めた。これが、日本の医療である。Wikipedia大橋巨泉は在宅医による鎮痛剤の過剰投与が原因だと記載し妻・浅野寿々子さんも確かにコメントでこれに憤っているが、在宅医のコメントもあり、多くの点でNHKは事実を語ったと評価できる。

2017年4月20日(木)午後6時41分

17年4月20日(木)午後7時4分34秒
[ 2017/04/20 19:05 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ウィルスとの共存

今日は肌寒い天気で冬が舞い戻ったようだ。曇天だが布団を干した。洗濯物もバスマットを除いて乾いた。

親指シフトキーボードの右手操作にはまだまだ感覚が戻らずもどかしいが、後退キーを操作する小指の位置がかなり改善したから入力修正が容易になった。

ヨドバシカメラからBLUETOOTHマウスが届いた。徳太樓(とくたろう)から「きんつば」が届いた。私は自己破産したからクレジットカードは作れないがデビットカードは作れた。デビットカードは即時決済という違いはあるものの、クレジットカードと同じように有効な決済手段として機能するが、それを知らない人間は意外と多い。カードと言えばクレジットカードしか存在しないと思い込んでいる無知な人間が多い。銀行にしてみれば、口座を維持して貰える利点がある上に、カード会社との提携は詳しくは知らないが何らかの収益を齎す。実際、私は、JCBが発行したデビットカードを年会費無料でクレジットカードと同じように、タクシー料金その他の決済に便利に用いている。ネットでの決済も一部のほんの例外を除き大部分の決済が可能である。

クレジットカードとデビットカードの使い方は全く同じである。私は楽天銀行が発行したJCBデビットカードを利用しており、決済に際しては、この両者が責任を共有し、楽天銀行に残高が不足している場合には、当然に決済は行われない。クレジットカードの場合にはカード会社が会員に替わって料金を立て替え払いしその後にカード会社が会員に請求書を発行し、支払わなければ、法的手段が取られるが、利用限度額はあるものの、使いすぎる可能性は常に存在する。デビットカードは、プリペイドカードとよく似た性質を持ち、デビットカードの場合には預金残高が歯止めになり、プリペイドカードの場合には予め支払った現金の額が歯止めになる。

いま、中部電力にデビットカードでの支払いを申請しようとしたが、彼らはこの発達した決済制度を全く知らず、電気料金の支払いにデビットカードが使えるか否か自分で調べろ、と、ヌカシ、た。電気料金の決済にJCBデビットカードが使えるか否かは中部電力が判断する事である。駄目だったら従前通り振替用紙を送りつければ済むだけの事である。

カードと言えばクレジットカードしか思い浮かべる事が出来ない人間は無知である。この世には自己破産した人間がワンサといる。自己破産しても銀行とカード会社はデビットカードを無料・有料で発行してくれる。私はいつもA-COOPきそ店で買い物をするが、残高を頭に入れながら、デビットカードで決済している。決済の事実はメイラーを立ち上げれば、楽天銀行からのお知らせという形で示される。そこに一点の曇りも存在しない。その上に時間はずれるが何処で何円使ったのかも表示される。私はこの表示制度を利用して、ツタヤの悪徳商法を撤回させ現金を還付させた経験がある。ネットには常に危険も伴うが同じだけの利便も与える。薬物の服用に伴う副作用と作用と全く同じである。

今月はNOTE-PCの購入に資金を投じた。入院中の退屈は、MOUSEが作った安物のNOTE-PCと親指シフトキーボードが紛らせてくれた。216号室に入院していた65歳のCHIさんと89歳のKさんが、一枚1,000円もするテレビカードでBSが映らないテレビで退屈な時間を紛らせていたのとは対照的であった。地域の基幹病院は、BSが映らないテレビで、患者からどれだけの収益を上げたのだろうか。地域の基幹病院は、スタッフセンター前に設置されていた自販機でどれだけの収益を上げていたのだろうか。

65歳のCHIさんの妹が独身のCHIさんの孤独を慰めるべく頻繁に面会に来ており、二度も、自販機で販売されていた150円のお茶をご馳走してくれたが、私はお金はあっても一度も自分で自販機のお茶を買う事はなかった。理由は簡単で、そのお茶の製造過程が見えなかったからであり、日常的に、私は、静岡県藤枝市で茶畑を経営している杵柄一家から無農薬有機茶を送って貰っていたからである。私は毒入り茶を飲みたくはなかった。もちろん、親切で頂いた自販機のお茶は「美味しく」いただいた。問題は、その「美味しく」感じられる「お茶」が、毒入りである事が明々白々だった点にある。私はマルクスの遺言通り全てを疑い自分の価値判断に基づき行動し、そこに妥協の余地はない。

さくじつ双極性障害の会からメイルが届きアンケートに協力してくれとの記載があったので、双極性障害研究の権威たる加藤氏の研究姿勢に対して批判しておいた。うつ病には遺伝因子と環境因子を認めながら、双極性障害には、なんの根拠もなく、環境因子を認めないのは、研究の前提が崩れていると記述した。椎間板突出でさえ、二つの原因遺伝子の関与が証明されたものの、その発現の必然性は証明されておらず、したがって、加齢に伴って一般的に発症するかに見える椎間板突出は、全ての高齢者に発現することはなく、ご高齢になっても人類を特徴付ける直立歩行を維持する方々は多いのである。

この点でも、見田がヘーゲル研究から明らかにしたように、因果律は必然性とは別個の法則である。見田は、資本論の方法で、因果律の限界を指摘する中で、インフルエンザウィルスへの罹患の問題を取り上げている。インフルエンザ流行期には確かに患者が増えるものの、他方では、全く罹患しない人もいるわけだから、インフルエンザウィルスが原因物質である事実は否定できないが、だからといって、全ての人々がインフルエンザに罹患するのではないから、原因は必ずしも結果するわけではないから、必然的ではない、と言ったのである。

私は、ウィルスへの極度の恐れは、ちょうど雑草を皆殺しにしてしまうラウンドアップ散布に結果し、多剤耐性菌を増やす事にも繋がると思う。人類はその遺伝子そのものの中にウィルスを発現しない形で次の世代に引き継いでおり、ウィルスを排除して生きる事は、そもそも不可能であるし、無駄な努力でさえある。ウィルスは生命体の一種であり「友達」である。ミトコンドリアの侵入を生命体が受け入れ共存する道を選択したように、人類はウィルスとの共存に目覚めるべきである。

2017年4月19日(水)午後6時30分

17年4月19日(水)午後6時46分26秒
[ 2017/04/19 18:49 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


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